今日は昨日の明日

凡人オズの徒然ブログ。

バンド活動をしたときに得たものや感じたことなど。

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パソコンの古いデータフォルダを覗いたら、

当時私がやっていたバンドのライブ映像を見つけました。

 

タイトルには2012の数字が入っているから、もうかれこれ5年になるのかあ。

 

バンド経験自体はもっと前からあって、数にして5つくらいやってきたのかな。

 

 
そのなかでも一番最後にやったバンド(2012のやつです)が一番活動できたと思います。

具体的には、県外遠征。

 

青森拠点で活動していましたが、


仙台・山形・福島・埼玉・立川・秋葉原・山梨・名古屋・大阪。
いま思い出せる範囲でこのぐらいは行きました。

大阪なんかは費用面でキツかったのは覚えています(笑)

USAから来日したバンドの前座をやらせてもらった事もあります。


多いときにはひと月に2箇所ペース。

だいたいが、私達の活動を知ったバンドマンがSNSを通して声をかけてくれて、私たちも日程が合うよう調整して遠征する、というものでした。


なかにはバンドこそやっていないけどもライブが好きで、地元が好きで、地元を明るくしたい、励みにしたい…という理由でライブ主催のうえオファーくれちゃうようなイチ個人なのに凄い行動力のある方もいましたし、
遠方から来てくれたので交通費としてコレは内緒ですよ…なんてウラで封筒を受け取っちゃったというエピソードもありました。

つまり、オファーをいただく形で遠征が成り立っていました。

もちろん、自分達の発信・アピールを続けた上での話です。

  

CD製作をしてライブ会場で販売、もしくはオンラインで購入できるようにしました。
PVの製作も数曲。

というように、オンライン上でも活動は続いていました。

 


これまでの活動・飛躍のひとつのカギとなったものがあります。

爆発的に成長したSNSです。

とにかく、SNSに自分たちの活動情報を発信していました。

ライブ情報や、出演したときのライブ映像のアップ、新曲のアップ、など
勢いがあるときはそれに伴ってオーディエンスのリアクションも増えました。


自分達は成長したんだなと、一番実感した事があります。

初めて訪れた地で初めて演奏するのに、オーディエンスが曲にノッてくれるんです。

拳をあげ、歌って、踊ってくれるんです。

初めて行く先々で、話しかけてもらえるようになりました。

 

 

ここまで書いといてなんですが、バンドの成長については私がしてきた事はありません。
あくまで、客観的に見て捉えたこととして書きます。

というのも、バンドのリーダーがほとんど1人で広報活動していました。

バンドの方向性・曲調から、ホームページ等のオンライン活動、強いては交流・人脈作りまで。

曲作りは他のメンバーが。メンバーひとりひとりの実力を見ても、ライブ経験も長かったりテクニックも持ち合わせている。

 

本当に凄いと思います。
リーダーに恵まれ、メンバーに恵まれ、バンドは上手く機能していたのです。


これこそがバンドとしてうまく機能し飛躍できるカギだと思いました。


 

メンバー内最年少で4~5歳離れていた私はまだ若かったのかもしれません。

 

 

仕事のこと、お金のこと、将来のこと、

考えれば考えるほど、ライブを続けていてもこれから先にイマ以上のものは来ないと思いました。

次第に不平不満も増えていきました。

上手く演奏できなくて。アレンジができなくて。オリジナリティの引き出しが少なくて。自分なんて。

半ば自暴自棄になりかけた時期もありました。

 

考えてみれば、ライブ/音楽を通して栄光や最高の時間、アドレナリンを掴むために、時間とお金を使っているのです。

こんな事を言ってしまえば元も子も無いのですが、
日本的で商業的な音楽でも売らない限りは、そのやっている音楽は道楽でしかないのです。

趣味的要素が強い音楽はアメリカと違って基本的に売れません。

 

―ただその楽しみを生きがいにする人もいるわけで、それはそれでその人の正解です。

 

ですが、そうは思えなかった私。

今のうちに身を引こう。

メンバーには申し訳ないと思いましたが、

私は私のなかで最高のバンドである時に辞めました。

 

心残り無く辞めたつもりです。

 

ですがすべての曲に、映像に、思い入れがあって、

バンドや音楽を通して学ぶ事も沢山ありました。

いろんな心境になりつつ保存してある古いデータを見るのです。

 

あの頃はお金こそ無くとも毎日が刺激的でした。